元・大衆演劇役者が営む隠れ家「ビストロ葵舎」を訪ねてみた。





元大衆演劇役者のご主人・勲(いさお)さんと奥様のきっきさんが営む、知る人ぞ知る隠れ家的なビストロだ。家族的な雰囲気と、ここでしか味わえない創作料理が評判のお店。今回は、勲さんときっきさんに、お店の歩みや大切にしている想いを伺った。
- 師匠への想いから生まれた店名
- 奥様との出会い、そして役者から料理人へ
- 常連のお客様に愛される隠れ家的なお店
- 今後も感謝を大切に長く愛される店へ
①師匠への想いから生まれた店名
「葵舎(あおいや)」という店名には、深い想いが込められている。勲さんがまだ幼さの残る年頃に約5年間身を置いた大衆演劇の世界で、師と仰ぐ方の名前から「葵」の一字をいただいたのだ。
「お店を立ち上げる時に、役者時代の師匠に『お名前を使ってもいいですか』とお話ししたら、『いいよ』と言ってくださったんです。それがきっかけで葵舎になりました。」
勲さんの物語は、大衆演劇の世界に足を踏み入れたことから始まる。決して順風満帆とは言えない少年時代を過ごした勲さん。当時の状況について、勲さんは振り返る。
「当時、私が人生の分かれ道に立った10代の多感な時期に、師匠と出会いました。当時、お世話になっていた方が、師匠の後援会長をしていたんです。師匠に『悩んでるのならうちに来ないか?』と声をかけてもらったんです。」
当時の劇団は、住み込みで演劇の練習や講演を行なっていたそうだ。この劇団には勲さんと年齢も近い少年たちが多く在籍していたそうだ。大衆演劇の世界では、朝7時に起きて2時間ほど学校に行き、昼からは公演。終演後は稽古をして深夜に寝るという生活を約5年間続けた。
このときの経験と、師匠との出会いが、勲さんのその後の人生に深く関わっていくことになる。
②奥様との出会い、そして役者から料理人へ
勲さんときっきさんの出会いのきっかけは、きっきさんが17歳の時。近所の人に誘われて初めて大衆演劇を観に行ったことだった。
「近くに劇場があるのは知っていたんですが、近すぎるとかえってなかなか行かないじゃないですか。演劇が好きだった友達に誘われて初めて行ったんです。」
「劇場に来た彼女を見て一目惚れしてしまったんです。その後、僕が彼女に猛アタックして、お付き合いを始めたんです。その後2年間お付き合いして結婚しました。付き合って最初の1年は、私一人で公演のために各地を回っていましたが、次の1年は彼女も一緒に全国を回ってくれました。ただ、その頃は個室などもなく、プライベートと呼べるものはほとんどありませんでした。今振り返ると、少し気の毒な思いをさせてしまったかなと思います。」
そう振り返る勲さんの言葉に、きっきさんはふっと笑顔を見せながら「でも、楽しかったですよ。」と優しく応えた。
その後、役者を辞めた勲さん。自分に何ができるかを考えた時、勲さんは頭に一つの選択肢が浮かんだ。
「僕には、弟がいるのですが、幼少期から、親が仕事に行っている間は僕が弟の面倒を見ていました。親は本当に忙しくしていたので、僕がご飯も作っていたんです。美味しいって食べてもらえる姿を見ると本当に嬉しかったのを覚えています。」
さらに、結婚したきっきさんの実家が、現在の店舗の場所で飲食店を営んでいた。そのお店の設備が残っていたことも、飲食業を選ぶ大きな理由となった。
「僕自身も食べることが好きで、役者時代も各地でいろんな美味しいものを食べていました。だからこそ、美味しい料理を自分で作ってみんなに振る舞いたいという気持ちになったんです。」
開業を決意した後、勲さんは叔父に相談したところ、「お店を始めるのなら、魚の目利きを覚えた方がいいのではないか」と助言をもらい、修行のために魚市場に就職した。そこで約1年間働き、魚に関する知識と経験を積んだ。
その後、当時2人が通い詰めていた店の店主から、名古屋で住み込みながら働いてくれる人を探しているという話を聞き、夫婦で名古屋へ。
25歳で独立し、店舗を構えた勲さんときっささん。最初隣家からのもらい火で火事に遭うという試練も経験した。それでも二人で力を合わせて店を立て直し、現在に至っている。
勲さんは自身の人生を振り返り、「僕は本当に人に恵まれています。」と語った。


③常連のお客様に愛される隠れ家的なお店
ビストロ葵舎は住宅街に位置しており、看板も控えめ。知る人ぞ知る隠れ家的な存在となっている。
「うちは住宅街にあるので、お店の前に人が集まってしまうと地域の方に迷惑をかけてしまいます。なので、席数も減らして、知る人ぞ知るお店にしたんです。ですからあえて派手な宣伝はしていません。」
大きくお店の看板を出さない代わりに、SNS、特にInstagramに力を入れている。宣伝は、お子さんに相談しながらきっきさんが担当している。お客様の年齢層は比較的高めで、落ち着いた大人の雰囲気が漂っている。常連のお客様同士も仲が良く、まさに第二の家のような温かい空間が生まれている。
「僕らは二人で一つだと思っているので、いつも一緒にいるんです。夫婦のどちらかがいないと『今日はどうしたの?』って絶対に言われるんですよ。」
30年以上連れ添った夫婦の息の合った接客も、お店の魅力の一つといえる。料理は創作料理がメイン。看板メニューの一つ「納豆ペペタマ」は、常連のお客様からのリクエストから生まれた。
「常連さんに『テレビで見た料理が美味しそうだったから食べたい!』って言われて作ったのがきっかけなんですよ。」
ペペロンチーノに納豆と卵を絡めた納豆ペペタマ、実は俳優の早乙女太一さんのお気に入りメニューでもあり、来店時は毎回注文するのだそう。勲さんと早乙女太一さんの関係は深く、太一さんの父親が勲さんの兄弟子、母親が同級生ということで、家族ぐるみの付き合いが続いているそうだ。
「実は太一くんが生まれる前からのお付き合いで、太一くんが小さい頃から知っているんです。名古屋でお仕事がある時は、わざわざ寄ってくれるんです。反対に僕たちが東京に遊びに行った時は迎えに来てくれて、一緒に遊んでもらったりもしています。」
また、パイ生地を使ったピザも人気だ。
「手のひらぐらいある大きなピザなんです。パイ生地なのでお箸で食べて欲しかったのですが、ピザだとみんな手で食べちゃうんですよね。なので、新メニューを考えました。」
そこで考案されたのが「サクサクエアーパイ」という新メニュー。「パイ」と表記することで、お箸で食べてくれるお客様が増えたという。このような面白いやりとりが生まれるのも、個人店ならではの魅力だろう。


④今後も感謝を大切に長く愛される店へ
30年以上にわたってお店を続けてこられた秘訣を尋ねると、ご夫婦揃って同じ言葉が返ってきた。
「感謝ですね。」
改装前には、黒板に「感謝」と書いていたほど、お二人はこの言葉を大切にしている。
「感謝の気持ちって意識していないと、忘れてしまうと思うんです。毎日続くとどうしても当たり前になってしまうので、これは当たり前じゃないんだと意識すると心から感謝できるんです。」
勲さんに課題について聞いてみた。
「お客様との距離が近くなりすぎることが課題だと感じています。うちに来て話をしてスッキリしてもらえればいいんですが、どうしても距離が近いと感情移入しすぎて、お客様にお節介をしてしまうことがあるんです。なので、お節介が過ぎないようにしないといけないなと思っています。」
きっきさんは「私たちも、お客様が大好きなんですが、うちに来て下さるお客様も、私たちも人が大好きなんですよね。」と話してくれた。
だからこそ、適切な距離感を保つことを心がけている。根底にお客様に対する深い愛情があるからこそ、生まれる課題なのだ。さらに、今後の展望についても話してくれた。
「僕らの営業スタイルは、料理やお店の雰囲気はもちろん、お客様との会話も大切にしています。なので、多店舗展開は特に考えていないです。今後もずっとこの地で、今のスタイルで長くやっていきたいと思っています。」
この場所で出会ったご縁を大切にし、この地に根ざしてお店を続ける、それが葵舎らしさなのだと感じた。なお、2025年4月からは休業日が月曜日と木曜日に変更となった。より無理のないペースで長くお店を続けていくための調整なのだろう。
ビストロ葵舎は、大衆演劇という世界で培われた勲さんの魅力、そしてきっきさんと二人三脚で積み重ねてきた信頼関係が生み出す、唯一無二のお店だ。日々の感謝を忘れない心が、多くの人に愛され続ける理由なのだろう。温かい家庭的な雰囲気の中で、心のこもった創作料理を味わいたい方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがだろうか。

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