ドイツ発、名古屋で愛される家庭の味「コロッケ屋みね」を訪ねてみた。





元ドイツ在住のアーティストが手がける、こだわりの詰まったコロッケ専門店だ。今回は店主の嶺村 歩(みねむら あゆみ)さんに、ドイツでのコロッケ屋誕生秘話から、地域に寄り添う店づくりまで、たっぷりお話を伺った。
- アーティストからコロッケ職人へ
- コロッケを選んだこだわりの理由
- 米油を使用、手作りにこだわったコロッケ
- 地域の子どもを応援、循環する仕組みをつくる
①アーティストからコロッケ職人へ
2021年9月25日にオープンした「コロッケ屋みね」。どこか懐かしい雰囲気のコロッケ専門店だ。もともとはドイツ・ベルリンで屋台として営業していたが、帰国後に古い家屋をリノベーションして開店。絶え間なくお客様がご来店される人気店となっている。
店名の「コロッケ屋みね」。これは嶺村さんの名字「“みね”むら」から取られた、シンプルで分かりやすい名前だ。
「もともとドイツでは『キッチン・ミネ』という名前でやっていました。でも日本に帰ってきて改名しました。何を売っているのか、どんな人がやっているのか、一番イメージしやすい直球の名前にしたかったんです。」
嶺村さんは美大を卒業後、フリーランスのアーティストとして活動していた。ギャラリーに所属して作品を発表する日々を送る中、海外のギャラリーとも縁ができ、ドイツのベルリンへと渡ることになった。
「美大を卒業したあとは、アーティストとしてフリーランスでずっと生きていたんです。」
しかし、人生の転機は突然訪れた。
「リーマンショックで海外の所属ギャラリーが潰れてしまったんです。収入源がなくなってしまった。ものを作る方法は知っていても、売り方を知らなかったんですね。」
そんな窮地に立たされた嶺村さん。周囲に仕事を探していることを伝えると、料理の仕事が舞い込んできた。もともと料理が好きで、友人に振る舞うことも多かったという。その後飲食店で働き始め、料理人としての道を進み始めた。
「海外って出世が早いんです。結果を出せばどんどん出世していくし、他の店から声がかかることもあります。私も料理の仕事に携わって3ヶ月で他の店から引き抜きがありました。」
その後も順調に飲食業界での経験を積み、いずれは自分の店を持とうと決意した嶺村さん。約1年間、準備を進め、ついにベルリンで「キッチン・ミネ」が誕生した。料理の世界で成功を収めた嶺村さんだが、もとのアーティスト活動も料理人としての活動も根本は一緒だと教えてくれた。
「作っているものが美術から食べ物になっただけなんです。見てもらう、体験してもらう人が美術館に来る人から飲食店に来る人になっただけ。自分が作ったものだということも、人と関わるということも変わらないんですよ。」
嶺村さんにとっては、アートも料理も、自分を表現するための手段なのだ。
「そもそも私は人が好きで、アートは人との関わりとしてのツールでした。だからアートじゃないとダメだというわけではなく、根底は『人と関わりたい、そのために何をするか』という気持ちなんです。」
アートにこだわりはなく、自分が作り出すもので感動してもらえるなら、それが料理であろうと美術であろうと本質は同じだと語る嶺村さん。彼女の人生の根っこの部分はずっと同じところにあるのだ。

②コロッケを選んだこだわりの理由
数ある料理の中で、なぜコロッケだったのだろうか。
「もともとコロッケが大好きでした。さらに、ドイツで作る和食としてクオリティが下がらないものを提供したかったんです。例えばお寿司をドイツで出そうとすると、どうしても本場、日本のものよりクオリティが下がってしまう。お魚だったりお米だったり、日本より良いものを出すのが難しいんです。」
ドイツはパンもジャガイモも美味しい土地柄。日本で食べるものよりもクオリティを下げないものを提供したいという思いから、現地の食材を生かせるコロッケに行き着いたのだ。
ベルリンでは屋台スタイルでコロッケを提供していた嶺村さん。実は実店舗への誘いもあったが、ドイツ語での契約に不安があり、リスクを考えてフットワークが軽い屋台営業を続けていたという。
「でも、もうちょっといたら実店舗もやっていたかもしれませんね。」
そんな矢先、今度はコロナ禍が世界を襲った。コロナ禍をきっかけに、嶺村さんは日本への帰国を決意する。もともと「いつか日本に帰りたい」という思いは以前からあったという。帰国後は全国で物件を探し、偶然にも名古屋で良い物件を見つける。店舗はセルフリノベーションで仕上げたという。
「通りかかった人が『何やってるの~?』って声をかけてくれて、手伝ってくれたりもしました。」
そして2021年、「コロッケ屋みね」をオープンした。当初から人気を博し、すぐに行列ができる店となった。もともとは一人で切り盛りする予定だったが、想定以上の人気に、すぐにスタッフを雇うことになったという。
「私が思い描いているコロッケ屋は、いつでも来て買えるコロッケ屋でした。近所にあって、学校帰りにフラッと立ち寄れるイメージです。でも、オープンしたての頃は、
理想のコロッケ屋を目指して、仲間と共に奮闘する嶺村さん。ドイツで生まれたこだわりのコロッケは、ここ名古屋の地でも多く人に愛される味となっているのだ。


③米油を使用、手作りにこだわったコロッケ
そんな「コロッケ屋みね」の最大の特徴は、すべてが手作業で仕込まれていること。
「大変ですが、妥協したくないんです。せっかくなら美味しいものを提供したい。」
機械で均一に潰されたジャガイモではなく、手作業だからこそ生まれる食感の違い。ところどころにゴロッとしたジャガイモの粒が残っている、まさに家庭の手作りコロッケのような味わいを大切にしているのだ。
さらに特筆すべきは、冷凍せずに生のコロッケを使用していること。また、揚げ油には米油100%を使い、毎日交換している。
「米油100%だと、カラッと揚がって胃もたれしないんです。」
店頭には、バタコロ(中にバターが入ったコロッケ)、たまコロ(卵入り)、チーコロ(チーズ入りのコロッケ)など、バリエーション豊かなコロッケが並ぶ。中でも一番人気は創業以来ほとんど味を変えていないお肉のコロッケ「オマコロ」だ。
「日本に帰ってくるタイミングで昆布とか椎茸の出汁を隠し味として加えました。」
この味へのこだわりが評価され、コロッケグランプリで金賞も受賞している。

④地域の子どもを応援、循環する仕組みをつくる
「コロッケ屋みね」には、ユニークな取り組みがある。中学生以下の子どもが一人で来店すると、コロッケを1個100円で提供する、というものだ。
「思った以上にお子さんが来てくれることが多かったんです。お母さんと一緒はもちろん、おつかいの子どもが1人で来ることもあるんです。それなら頑張ってきた子たちに何か還元してあげたいなと思いました。」
このサービスは、子どもたちの「初めてのお使い体験」の場にもなっているという。お小遣いを握りしめて「いくつ買えるかな」と計算する子どもたち。かつての駄菓子屋のような、社会勉強の場になっているのだ。
他にも、大人向けの「せんべろ」(千円でべろべろに酔えるリーズナブルな飲み屋)のメニューも用意。名古屋のクラフトビールなども揃え、コロッケと一緒に楽しめるようにしている。子どもだけでなく、地域の大人達の交流の場にもなっているのだ。
「地域の方が年間を通して通ってくれることが、本当にありがたいです。何年にもわたって通い、当店のコロッケを愛してくださる常連のお客様には本当に支えられています。地域のお客様は特に大切にしたいと思います。」
これからもSNSでの発信などを通して、新しいお客様を増やしながら、地元の方々との関係も大切にしていきたい、そう嶺村さんは語る。
最近、嶺村さんは民泊事業も開始した。店舗から80メートル先の物件を借り、こちらもセルフリノベーションで改装。店と民泊を「循環」させることを目指している。
「民泊に泊まってコロッケ屋にも寄ってもらえる。1日1組だけですが、循環できるような次の展開はいろいろ考えています。」
畑での自家栽培も視野に入れているという嶺村さん。民泊の裏には畑スペースがあり、将来的にはコロッケの材料も自分たちで作りたいと考えている。
「自分たちで一から作った野菜を、コロッケの材料に使えるようになるといいなと思っています。何より生産者の顔が見えるので、お客様に安心感を与えられるかなと思っています。」
最後に、嶺村さんの座右の銘を伺った。
「やればできる、です。」
アーティストから料理人へ。ドイツから日本へ。そして民泊、その先の発展へ。次々と新しいことに挑戦し続ける嶺村さんだからこそ、説得力のある言葉だ。嶺村さんの人生は、常に新しいチャレンジの連続。その生き様そのものが、この言葉に表れているようだ。
手作りへのこだわりと地域への愛情が詰まった「コロッケ屋みね」。ぜひ一度、揚げたてほくほくのコロッケを味わってみてはいかがだろうか。

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