第二の人生を夜明けの一杯に込める「尾州暁珈琲焙煎所」を訪ねてみた。
自家焙煎の珈琲を軸に、「コーヒーを嗜む人のための珈琲屋」を掲げる珈琲専門店だ。セカンドコンセプトは「珈琲好きの大人の逃げ場」。モーニング文化やシェアロースターという取り組みを通して、コーヒーを愉しむ時間を提案している。今回は、代表の中島 裕介(なかしま ゆうすけ)様にお話をうかがった。
- 「尾州暁珈琲焙煎所」に込めた夜明けの意味
- 父の背中を追って踏み出した決断
- 「コーヒーのためのモーニング」とシェアロースターという挑戦
- 地域で愛される存在でありたい
- 十年後も灯り続けるために
①「尾州暁珈琲焙煎所」に込めた夜明けの意味
どこか凛とした響きを持つ「尾州暁珈琲焙煎所」という名前には、地域への想いと人生の再出発という、二つの意味が重ねられている。
「尾州」は尾張地方の別称であり、この土地に根ざしていくという意思表示でもある。
そして、核となるのが「暁」という言葉だ。暁とは、漆黒の闇の中から太陽が昇る直前、わずかに空が明るみ始める時間帯を指す。その繊細な光の瞬間に、自身の歩みを重ねたという。
「脱サラして店を始めましたので、自分にとっては第二の人生の始まりでした。真っ暗な中から少しずつ光が差してくる、その時間に重ねたかったんです。日の出の勢いにあやかりたいという思いもあり、“暁”と名付けました。」
安定した道を離れ、新たな挑戦へと踏み出した決意。その心境を、夜明け前の静かな光に託したのである。
さらに「珈琲焙煎所」という言葉にも、明確な意図がある。
「焙煎機を置くことは決めていましたし、何屋かすぐ分かる名前がいいと思い、この形にしました。」
近年は横文字の店名も多いが、あえて漢字でまとめたのもこだわりの一つだ。
「少し男らしい雰囲気のほうがしっくりきたんです。漢字のほうが、大人の店という印象も出せると思いました。」
地域を示す「尾州」、再出発を象徴する「暁」、そして専門性を明確にする「珈琲焙煎所」。一つひとつの言葉を丁寧に重ねた店名は、中島さん自身の人生観と、この土地で静かに光を灯し続けたいという覚悟を映し出している。
②父の背中を追って踏み出した決断
尾州暁珈琲焙煎所の始まりは、「コーヒーをやりたい」という夢からではなかった。先にあったのは、「自分で事業をしたい」という想いである。
中島さんは地方公務員として働いていたが、四十代を迎えた頃、大きな決断を下した。
「実はコーヒーが先ではなく、脱サラが先でした。四十代になって、このままでいいのかと考えるようになったんです。」
背景には、幼い頃の記憶がある。中島さんのお父様はこの地域で会社を経営していたが、四十七歳を目前に他界した。
「父は本当によく働く人でした。正月でも仕事をしていた印象がありますね。まだ小学生でしたが、その背中は強く残っています。」
自分も父と同じ年代に差しかかったとき、人生には限りがあることを現実として受け止めたという。
「いざ人生を終えるとなったとき、やらなかったことを後悔すると思いました。それなら挑戦しようと考えました。」
安定した公務員という道を手放すことは、決して容易ではなかったはずだ。それでも一歩を踏み出したのは、憧れと責任の両方があったからである。
コロナ禍の中、独学で焙煎や経営を学び、三年前に開業。見切り発車だったと振り返りながらも、その選択に迷いはない。
お父様の背中を追いながら、自分自身の人生を生きる。その覚悟が、この焙煎所の原点にある。
③「コーヒーのためのモーニング」とシェアロースターという挑戦
尾州暁珈琲焙煎所の軸にあるのは、その名の通りコーヒーそのものだ。
「選択肢の多さや鮮度は大事にしています。小さな焙煎機なので、少量ずつ多品種をこまめに焼いています。」
店頭には迷うほどの豆が並ぶ。
「すぐに決めていただくよりも、迷っていただいたほうがよいと思っています。迷う中で会話が生まれますし、その方の好みを知ることもできます。そこから次につながる提案もできます。」
地域に根づくモーニング文化も取り入れているが、あくまで主役はコーヒーだ。
「あくまでもコーヒーを楽しんでいただきたいので、シンプルにトーストだけのモーニングをご提供しています。」
店内は無機質で落ち着いた雰囲気である。
「男性でも一人で入りやすい店にしたいと思いました。自分が行きたいと思える空間を大事にしています。」
さらに特徴的なのが、焙煎機を時間貸しする“シェアロースター”という取り組みである。
「業務用焙煎機は高価です。私自身も開業前に焙煎機を借りていた時期があったので、趣味の方や将来開業を目指す方に使っていただけたらと思い始めました。」
実際にここで経験を積み、店を始めた人もいるという。売るだけではなく、学びや挑戦の場としても開かれた焙煎所。それが、この店ならではの大きな個性である。
④地域で愛される存在でありたい
中島さんが繰り返し語るのは、「地域に愛されたい」という率直な願いだ。
「小さな個人店なので、大手と同じことはできません。だからこそ地域密着は大事にしています。」
印象的だったのは、常連のカップルのエピソードである。
「結婚式のプチギフトに、うちのオリジナルドリップバッグを選んでくださいました。人生の大切な場面に関われたことは本当にうれしかったです。」
一つひとつ手詰めで用意したドリップバッグが、大切な一日に彩りを添える。その事実は、店にとって何よりの誇りだ。
「お互いに“ありがとう”という言葉をかけあえる関係は、本当にありがたいですね。」
本格的なコーヒーを楽しみたい人にも、これから知りたい初心者の方にも足を運んでもらえる店として、この地域に根付いていきたいと語る。
「少しでも多くの稲沢の方に知ってもらえたらうれしいです。」
三周年を迎える三月一日は、国府宮はだか祭りの日と重なる。通常は営業日ではないが、臨時営業を考えているという。その言葉の端々から、商売を超えた地元へのまなざしが伝わってくる。
⑤十年後も灯り続けるために
経営者として学びを重ねる中で、飲食業界の厳しさも実感している。だからこそ、未来への視線は現実的でありながらも、確かな意志を帯びている。
「まずは存続させることが一つの目標です。ただ、続けるだけではなく、少しずつでも成長させていきたいと思っています。」
飲食の世界は、三年、五年、十年と続けること自体が容易ではないと言われる。その現実を理解しているからこそ、「続いている」という状態を当たり前にしない姿勢がある。
「ここでいいと満足してしまえば、落ちていってしまうと思っています。上を目指すからこそ維持できるのだと思います。前年比で成長し続けることを常に意識しています。」
その成長とは、単に数字だけを追うものではない。豆のラインナップ、提案の幅、店としての魅力。ひとつひとつを積み重ねながら、選ばれる理由を増やしていくことだという。
将来的には三階スペースの活用も視野に入れている。現在は物置として使っている空間だが、席数を増やすことや、新しい使い方を模索することで、店の可能性を広げられるのではないかと考えている。
「大きなことを一気にやるというよりは、できることを一つずつ積み重ねていきたいです。十年後も変わらずこの場所で営業していること、まずはそれが目標です。」
夜明けは一度きりではない。毎日、太陽は昇る。尾州暁珈琲焙煎所もまた、地域とともに、静かに、しかし確かに光を広げ続けようとしている。
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